第1幕
昭和激動期 炭屋組誕生
戦前 |
福井県にて丸政建設の前身 炭屋組が建設業を営む。当時の大会社である飛島組からの仕事を中心に、電力やダム関係など、大規模な現場を扱っていた。 当時の「炭屋組」が使っていたオート三輪 エピソード 炭屋家の家紋が丸に「甚」の文字。その家紋が背中に描かれた半纏を着て、仕事に従事していた。ポジションによって色が違い、親方は赤、頭は青、小頭は白の半纏。それぞれ家紋を背中に背負っての作業、職人として誇らしかったことだろう。 |
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戦後 |
財閥解体で飛島組が対象となり、その輩下で育った熊谷組、前田組、酒井組、山形組が独立。飛鳥組は飛島土木を名乗り再出発。戦後の国土復興の中心となり、各組みとも急成長を遂げる。 |
昭和24年 (1949) 2月27日 |
炭屋昭弘、父政義、照子の長男として福井県に生まれる 炭屋昭弘、生まれる 当時の家族写真 当時の出来事
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昭和31年 (1956) 4月 |
昭弘、福井県福井市 福井大学付属春山小学校入学 エピソード 小学1年生の時の国語の教材「トロッコ」に土木作業員が出て来た。それを読んだ担任のA先生が「勉強しないとこんな風になっちゃうよ!」とみんなに告げた。先生は何気なく言ったのだろうが、土木作業員を近くで観て育って来た昭弘の心にその言葉は深く刺さり、怒って授業をボイコット。その場でぷいっ!と帰ってしまった。それから頑として学校に行かない日が何日か続いたが、先生が心から謝ってくれたことで和解。この頃から家業に対しての誇りとコンプレックスが入り交じったものを感じていた。 当時の出来事
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昭和30年前半 |
炭屋組(本家)が東京に進出。父、政義も上京する。茗荷谷(東京都文京区)を拠点に地下鉄工事等を請負う。以後、フジタ、飛島建設など大手の発注により、都内の営団、都営など、ほとんどの工事に従事するようになる。 当時の宿舎の様子 エピソード 当時500?600人もの作業員の面倒を見ており、昭弘の両親は早朝3時から夜中まで働き通しの生活を送っていた。 |
昭和34年 (1959) 9月 |
東京都文京区茗荷谷に引っ越し、昭弘、文京区立窪町小学校へ転入 営団地下鉄丸ノ内線中野新橋駅工事の様子 この地下鉄工事に日本で初めて 当時の出来事
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